彼への高い評価に挑むように、ポリーニはさらに ― 不滅の巨匠の第一歩を印したショパンの傑作

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2020年04月25日 23:46


巨匠ポリーニ東京デビュー ― 1973年4月25日

 現代を代表するピアノの巨匠マウリツィオ・ポリーニは、1960年のショパン・コンクールで、審査員委員長のルービンシュタインをして「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」と言わしめるほど圧倒的な優勝を飾った。そのとき18歳のポリーニはすぐに演奏活動に入らず、それから10年以上経った1973年春に初のディスクを発売、翌年4月に来日、25日に東京で初のリサイタルを開いた。
今ほどのコンサート専用のホールで無く、音響も十分といえない状況だったが、チケット代が無名の新人並みの安さだったこともあってか、椅子席横の階段に座って聴く者まで出る大盛況。前半のシューベルト、後半のショパンの《24の前奏曲》が終わっても誰一人席を立たず、それから30分も続いたアンコールの2曲目が、ショパンが書いた最も劇的な傑作のひとつ、《バラード第1番》だった。これほど衝撃的なデビューはその後皆無。

バラードって何だろう

 ショパンの《バラード》は、愛をテーマとするセンチメンタルな歌とも、中世以来のイギリスの歴史物語や伝説、社会風刺を題材にした歌曲とも、どれとも異なる。ポーランドの詩人ミツキェヴィチが書いたバラードからインスピレーションを受けたとも伝えられるが、対象になった詩があるわけではない。むしろ標題音楽では無く、ソナタに近い。これほど起伏に富んだ音楽は、曲の長さこそ10分ほどだが、交響曲を1曲聴いたかのような充足感を覚える。
シューマンは、この曲に感銘して「ショパンの最も美しい作品」と称賛している。しかし、その称賛を受けてバラード第2番をシューマンに、ショパンは献呈したが彼は、そちらはお気に召さなかったようだ。シューマンの嗜好からすれば、わかる気もする。