カラヤンが目を閉じて腕を差し出すだけで珠玉の演奏になるわけ 第11盤 リスト 交響詩第6番 「マゼッパ」
ユゴーの「東方詩集」におさめられた長編叙事詩「マゼッパ」からの霊感
この作品の副題が示す、ポーランド国王のヨハン・カジミール宮廷に使えていた武人マゼッパと疾走する荒馬の姿を描写しています。交響詩はロマン派時代に流行った音楽形式の一つで、管弦楽によって演奏される標題音楽のことを指します。「田園交響曲」でベートーヴェンが苗を植えた標題音楽は、フランス音楽界でベルリオーズが育てて、フランツ・リストが定着させます。ロマン派時代になって変質して、文学的、絵画的な内容と結びつけられることが多く、楽曲の形式は全く自由です。
マゼッパのエピソードが伝説となって語り継がれていく間に多くの詩人にインスピレーションを与えたようで、ユゴーの前にはバイロンもこの人物取り上げています。
このマゼッパは、貴族夫人との不義密通の罪がかけられ、裸で馬に括り付けられて荒野に追放されるという刑をうけます。
雷鳴が轟く暗黒の雲が渦巻く中を音高く、風巻き起こし駈けてゆく荒馬、その荒馬に括りつけられたマゼッパを襲う様々な怪物達、マゼッパの血は果てしもなく流れいでて肉もちぎれて落つる。
しかし半死の状態で農民に救われ、やがてウクライナのコサック兵の一員となり、さらには数々の武勲をあげてついにはウクライナの英雄となるのです。
その生命の力強さ、疾走する音楽。リストの交響作品の解釈で、カラヤンの右に出る者はいないだろう。
カラヤンはレコード産業に、新しいビジネス様式も作り出しました。劇場上演には準備と経費がかかります。レコードからの売り上げが、その助けになっていきますが、カラヤンは音楽祭や演奏会のプログラムに合わせて新譜がショーウインドウに並ぶようにします。新しいツアーのリハーサルを録音して、演奏会に間に合うように商品化。演奏会が始まるときにはカラヤンの意思はオーケストラに徹底されているのですから、目を閉じていても、腕を差し出すだけで珠玉の演奏になる。これはレコード会社にも、オーケストラにとっても合理的なシステムでした。
今ではミュージシャンの当たり前になっている、仕組みですが、レコード録音はしたが、演奏会では取り上げなかったが楽曲があります。カラヤンが指揮者として演奏会で取り上げたリストの作品は「ピアノ協奏曲第1番」「ピアノ協奏曲第2番」「交響詩《前奏曲」》」「ハンガリー狂詩曲第2番」「ハンガリー狂詩曲第5番 」の5曲です。 このうち交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲第2番、第5番は録音も残しています。
に合うように商品化。演奏会が始まるときにはカラヤンの意思はオーケストラに徹底されているのですから、目を閉じていても、腕を差し出すだけで珠玉の演奏になる。これはレコード会社にも、オーケストラにとっても合理的なシステムでした。
今ではミュージシャンの当たり前になっている、仕組みですが、レコード録音はしたが、演奏会では取り上げなかったが楽曲があります。カラヤンが指揮者として演奏会で取り上げたリストの作品は「ピアノ協奏曲第1番」「ピアノ協奏曲第2番」「交響詩《前奏曲」》」「ハンガリー狂詩曲第2番」「ハンガリー狂詩曲第5番 」の5曲です。 このうち交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲第2番、第5番は録音も残しています。
ピアノ協奏曲2曲は、カラヤン自身がピアノを弾いています。腕前が達者だったことが想像できます。
一方、演奏会で取り上げてはいないものの録音だけ残している楽曲は「交響詩《タッソ、悲劇と勝利》S.96」「交響詩《マゼッパ》S.100」「ハンガリー狂詩曲第4番 S.359-2」「ピアノと管弦楽のためのハンガリー幻想曲 G.123」「メフィスト・ワルツ第1番より《村の居酒屋の踊り》」の5曲があります。
分厚くて中味のギッチリとつまった弦楽器の響き、突き抜けていくような金管の咆哮、そしてそれに彩りをそえる木管楽器の響き、どれをとっても完璧です。
当然のことながら、カラヤンらしい的確なリズム処理によって申し分のない疾走感も表現されています。疑いもなく、たぎるような思いをもって荒馬は疾走しています。
そして、ここぞという場面では歌舞伎役者の如く大見得を切ってみせます。見事なものです。このカラヤン&ベルリン・フィルによる交響詩「マゼッパ」は、このコンビの底力を思い知らされる録音です。そして、この底力を持って、この翌年からいよいよベートーヴェンのの交響曲全集の録音に取りかかるのです。そう、これは自らが築き上げてきた「力(パワー)」の確認作業だったのかもしれません。
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