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2020年03月26日

流行歌の誕生 女性のおしゃれアイテム大ブーム

カチューシャの唄



1914(大正3)年の3月26日に、島村抱月と松井須磨子が起こした劇団芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。その劇中歌として歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。この芸術座の「復活」の公演時に主人公の「カチューシャ」を演じる松井須磨子がつけていた髪留めが当時の女性の間で話題となって、その髪留めのことを「カチューシャ」というようになった。現在のヘアバンドである。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」も流行語にもなった。
「カチューシャの唄」の歌詞は5番まであるが、1番は芸術座を主宰する島村抱月、2番以降は詩人の相馬御風が1番を参考に作詞した。作曲者は東京音楽学校卒業生の中山晋平。「西洋音楽と日本の小唄の間を狙って欲しい」との島村の注文に応じて作った。
カチューシャかわいや 別れのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神にねがいを ララかけましょか
日本語のリズムやイントネーションを大切にしながら西洋音楽を取り入れる作曲方法で、「カチューシャの唄」には民謡のお囃子からヒントを得た「ララ」という言葉が入っているのである。わずか12小節のメロディーは、伴奏もなしに2分半のレコード片面が尽きるまで繰り返し吹き込まれた。
また出会い別れていくべき人々との、喜びと悲しみの予感、、、。教育関係者の中にはこれを風紀上有害だと考える人が多く、各学校で「カチューシャの唄」禁止令が出されている。しかし「カチューシャの唄」には5番まで聴いても「卑猥な」歌詞はなく、この歌が教育上好ましくないとされたのは男女の愛情を歌っているからだと思われます。現代の流行歌のほとんどを占めるはラブソングであり、そのことを裏返してみると「大正デモクラシー」を象徴するものといえる。
翌年には「いのち短し 恋せよ少女」の歌詞で有名な「ゴンドラの唄」を歌うなど、人気女優の名をほしいままにした須磨子でしたが、1918年11月、そのころ世界中で大流行したスペイン風邪(インフルエンザ)で愛する抱月を失います。翌年正月、「カルメン」を演じていた須磨子は後を追いました。32歳(数えで34歳)。あの帝劇の歌声からまだ5年も経っていませんでした。


Posted by analogsound at 23:51
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