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2020年04月12日

創作された金印の発見 卑弥呼の邪馬台国はどこだ

漢委奴国王金印


甚兵衛は、兄の喜兵衛がかつて奉公していた福岡の商人、米屋才蔵のもとに、兄の手を介して金印を届ける。
私の所有地、“叶の崎”という所の田んぼの境の溝の水はけが悪かったので、先月23日、溝の形を修理しようと岸を切り落としていたところ、小さな石がだんだん出てきて、そのうち二人持ちほどの石にぶつかりました。この石をかなてこで取り除いたら、石の間に光るものがあり、取り上げて水ですすぎ洗いしてみたところ、金の印判のようなものでした。

口上書にある金印を覆った「二人で持つほどの石これあり」は、それを伝えるために書かれた他の文献では〝大石〟や〝巨石〟と表現が変化しています。このほか「石の間に光りそうろう物」とある部分は、口上書を実見できる立場にあった福岡藩の学者、梶原景熙の『金印考文』では「周囲をとりまく三つの石は、箱のようだ」と記されています。
石はそれほど大きくない。支石墓や石棺なら大石がたくさん必要なので、他の石の大きさへの言及はないし、三つの石で囲った小さな空間を作り、簡単には動かない大石で蓋をしたらしい。金印を納めた石組み以外にはなにもないから祭祀のためとも考えがたい。
金印はかなり早くから発見されていて、秘匿されていたのではないか。必要な物だったから、人目につかないような場所を選び、石で囲い隠した。良い目印に、海を超えた正面に能古島がある。そのあたりの適当な石を組合せたものだろうから、雨が降るたびに、すき間から少しずつ土砂が流れ入り、ゆっくり埋まっていったと思われる。



Posted by analogsound at 23:26
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