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2020年05月16日

何を弾いてもグルダになる ― と自ら語るほど、癖のある性格で、癖のある演奏をした。

Friedrich Gulda


天才のアウトロー


フリードリヒ・グルダは1930年5月16日、ウィーンで生まれた。彼も多くのピアニスト同様神童と呼ばれた才能豊かで、12歳でウィーン音楽院に入学し、16歳でジュネーヴ国際音楽コンクールに優勝した。日本では太陽族、音楽産業の分野ではザ・ビートルズが登場する気風を背景にして、彼の才能は多方面に向けられており、25歳の時マルタ・アルゲリッチを指導するなど、多くの生徒を持つ一方で、ジャズに傾倒しジャズを弾くためにコンサートをキャンセルすることもあった。

また、1956年のニューポートのジャズフェスティバルへの出演をはじめ、ジャズのメッカと言われる「バードランド」でも演奏するなどジャズの分野でも名を馳せた。さらに、グルダは即興演奏(アドリブ)が得意で、しばしば作曲もしている。逸話として、あるピアノ・コンサートで曲目が終わりアンコールの時になり、グルダが聴衆に向かって「何か聞きたい曲あるかい?」と聞いたすぐ後、客席から「アリア!」との声があり、すかさず「グルダのだね!」と言って〝グルダの『アリア』〟をピアノで弾いたという。グルダが作曲や即興にも優れていたことを表している逸話である。

問題はグルダが施した装飾がモーツァルトの音楽が本来持っている和声や旋律の本質を損なっているのかどうかが問われなければならなかったのですが、一連のグルダの演奏を聞いて少なくない反響は巻き起こり、その大部分は批判的なものだったのですが、その批判の根拠の大部分は「原典」からの逸脱でした。残念なことに、グルダ自身が望んだであろう自らの装飾が、モーツァルトの音楽が本来持っている和声や旋律の本質を損なっているのか否かと言うことは殆ど無視されてしまいました。
この後、グルダはクラシックからの撤退とジャズへの転向を表明するのですが、それは、自分としては渾身の思いで問うた試みがほとんど真っ当に評価の俎上にすら載らなかった事への絶望感みたいなものがあったからかもしれません。
クラシック界での名誉を突然放棄し、装束をキュロット帽、たまにバンダナと平服に改め〝音楽は自由なはず〟という強い信念を持ち続け、ピアノ以外の楽器の習得やジャズ・ロック関係のミュージシャンらと共演し、はたまたビッグバンドまで結成して活動していた。交友関係も広く、ジャズピアニストのチックコリアとはお互いにクラシックとジャズを教えあう関係だったそうである。

そして、あるインタビューでは「何を弾いてもグルダになる」と自ら語るほど、癖のある性格で、癖のある演奏をした。とは言ったものの、幸いなことに、グルダ自身はジャズピアニストとしては「上手く」ならなかったと評価できるだけの自己批判力は持っていましたので、ジャズも続けながら再びクラシックの世界にも戻ってきてくれました。やはりグルダはクラシックピアニストであり、特に有名なものはベートーヴェンとモーツァルトである。


Posted by 武者がえし at 22:59
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