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2020年09月08日

今もなおカラヤンの音楽が聞き続けられるワケ〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第8盤 チャイコフスキー 弦楽セレナード


この印象的なオープニングに対して、弦の人数は多ければ多いほど良い

チャイコフスキーはロシア民族楽派の音楽家らから「西洋かぶれ」という批判を受け続けるのが、この作品で色濃く出ている西洋的側面が最も対象となっています。2年前に完成した「ヴァイオリン協奏曲」の第1楽章が西ヨーロッパのヴァイオリン協奏曲様式を踏襲していたとおりチャイコフスキーの数ある作品の中で、このセレナーデほど古典的均衡による形式的な美しさにあふれたものはありません。
チャイコフスキー自身もこの作品はモーツァルトへの尊敬の念から生み出されたものであり、特に第1楽章は手本としたモーツァルトに近づけていれば幸いであると述べています。ですから、この作品を貫いているのはモーツァルトの作品に共通するある種の単純さと分かりやすさです。
そうはいっても、19世紀以降に書かれたチャイコフスキーやドヴォルザークなどの「弦楽ためのセレナード」などは、18世紀おけるモーツァルトのセレナードとは全く違う種類の音楽になっています。

DGG 139 030 カラヤン チャイコフスキー・ くるみ割り人形

最高峰のオーケストラの稀有の響きで「完成度」の高い「録音」を作りあげた

ロマン的な情感を表出させつつバロックや古典的形式への接近も見られる、モーツァルトへのオマージュとして書かれたチャイコフスキーの弦楽セレナード。モーツアルトのディベルティメントと共に最高の美の姿がある。またカラヤンのアプローチは最高で、この優雅で情熱的な美は比類がありません。弦の透明感や力強さは秀逸。深い哀しみを表すような、重厚な序奏から、いきなり始まる「チャイコフスキー:弦楽セレナード」はそれだけでもインパクトがあります。この序奏を終えると、「運命的で、憂いをこめたメロディ」がたたみかけるように、現れてきます。
カラヤンが多くの人々から受け入れられた最大の魅力は、ベルリン・フィルというオーケストラを徹底的に鍛えて、未だ誰も耳にしたことがなかったような希有の響きを実現したことであり、その希有の響きによってきわめて「完成度」の高い「録音」を作りあげたことでしょう。とりわけ、「録音」という行為に関して言えば、それがもっている「価値」をはじめて明らかにした指揮者でした。
この研ぎ澄まされたベルリン・フィルの弦楽アンサンブルから生まれる豊かな響きは、こう鳴らすのだというお手本のようなものでしょう。速いパッセージでもアンサンブルの狂いはありません。チャイコフスキーもこの印象的なオープニングに対して、弦の人数は多ければ多いほど良いという希望を持っていたようです。
第1楽章「ソナチネ形式の小品」の冒頭の重厚な和音を聴いた瞬間、紛れもないカラヤンがイメージした世界最高のアンサンブルの凄みが伝わってきますし、圧倒的な量感ある音の塊が飛び込んできます。

カラヤンのリハーサルは細部に徹底的にこだわり、そう言う細部が自分のイメージ通りに演奏できるまで執拗に繰り返しました。オーケストラにしてみれば実にウンザリするような時間だと思うのですが、そのウンザリするような繰り返しが結果として録音の完成度を高め、それがレコードの売り上げに結びつき、結果として自分たちの収入の向上に結びつくという現実を見せつけられれば誰も文句も言えなくなるのです。夏の避暑地のサンモリッツで録音した、パッヘルベルのカノン、バッハ、ヘンデルの合奏協奏曲などがそうです。夏休みでオーケストラは劇場から開放されていますし、レコード会社もスタジオを閉じています。カラヤンのこの休暇の録音は、彼の自費での録音です。出来上がった録音をレコード発売する。その売上は劇場との契約とは別に、録音に参加したメンバーの報酬になるのです。レコード会社もビジネスになるかわからないバロック音楽を、採算計画も立てなくて録音してきてくれる。カラヤンのネームヴァリューは確実なものだから、ドイツ・グラモフォンの商標をつけて市場ルートを開くだけ。
カラヤンは、1961年から63年にかけてベートーベンやブラームスの交響曲という本線中の本線でオーケストラの信頼を勝ち取ると、それを梃子としていよいよ自分が理想とするオーケストラの響きを作り始めます。1964年からはチャイコフスキーやムソルグスキー、リムスキー=コルサコフなどのロシア音楽、夏の避暑地でのバッハやヘンデル、モーツァルトなどの録音が増えます。特にチャイコフスキーへの集中は明らかです。
フルトヴェングラー時代からのトレードマークだったザラッとした生成りの無骨な響きは、カラヤンがオケのシェフに就任してからの10年で完全に過去のものになってしまいました。ただし、低弦楽器を中心とした分厚めの低域を土台としてバランスよく響きを積み上げていくスタイルは欲しかったものでした。
弦楽器は徹底的に磨き抜かれていますが、低弦楽器の分厚い響きは最後まで変わることはありませんでした。昨今よく聞かされる薄めの蒸留水のような響きとは異なります。その意味では、カラヤンという人の根っこは今という時代から振り返ってみれば「古い世代」に属する音楽家だったわけで、そのような「古さ」があったから、マントヴァーニやプゥルセルが忘れられた、今もなお彼の音楽が聞き続けられることであるのでしょう。
カラヤンはテヌート演奏を追い求めていましたし、ベルリン・フィルですから、弦楽のピッチや奏法が完璧に揃えられています。当然共鳴によって豊かな倍音が生まれました。それが奏者の人数以上の豊潤な響きを生みだすからこそ素晴らしい音楽が伝わってくるのです。
カラヤン指揮の「チャイコフスキー:弦楽セレナード」は誰にでもお薦めできる名盤だ。この空間に溶け込むような響きを味わってください。





Posted by 武者がえし at 23:54
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