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2020年09月10日
珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第10盤 ドヴォルザークの交響曲第5番・新世界より
インディアンたちが結婚の祭典で踊っている様子を描いた詩からの霊感
この作品はその副題が示すように、新世界、つまり当時ヨーロッパから新世界といわれていたアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「もしアメリカをみなかったら、こうした交響曲を書くことはできなかっただろう」とのべている。
ニューヨークの国民音楽院は、設立者のサーバー夫人の意志で、人種の差別をおかずに教育をおこなっていた。そのために、ドヴォルザークは、黒人やインディアンとも不自然な感情なしに接触することができ、黒人霊歌をはじめとする各種の音楽を好んで耳にすることにした。ドヴォルザークは、これらの音楽の語法や特徴を、自分の作曲のなかで生かしてみたいと考え、それを追求して、1893年1月10日からスケッチされはじめ、5月24日に書きあげた。そこには、未知の音楽に接したことによる意欲と同時に、故国への郷愁も盛りこまれているといえる。
イングリッシュ・ホルンが美しい主題を歌わせる第2楽章は、プラハのオーケストラにイングリッシュ・ホルンとオーボエの名手がいたからだという。ドヴォルザークの弟子が勝手に『家路』と題をつけて歌曲として売りだした楽譜に由来して、日本では「家路」という歌で親しまれている。
さらに、ドヴォルザークは、この楽章を作曲するにあたって、インディアンの伝説的な英雄を扱ったロングフェロ一の「ハイアワサの歌」の「森の葬式」の部分から霊感を得たと伝えられている。ドヴォルザークがロングフェロ一の「ハイアワサの歌」に興味をもつようになったのは、この曲の作曲よりも30年ほど前に、チュコ語で読んでからだったという。これにもとづくオペラの作曲を試みもしたようで、ニューヨークにきてからごくわずかのスケッチをのこしている。
さて第3楽章は「ハイアワサの歌」のなかの結婚の祭典のところで、インディアンたちが踊っているのを描いた詩からの霊感で作曲した。3部形式をとり、簡潔な動機から次第に主題の形をととのえてゆき、素朴な舞曲ふうのものへと発展する。やがて速度を落して、木管に哀愁味のある新しい旋律も歌わせる。中間部では、やはり木管を主体に新しい旋律を扱わせる。
ニューヨークの国民音楽院は、設立者のサーバー夫人の意志で、人種の差別をおかずに教育をおこなっていた。そのために、ドヴォルザークは、黒人やインディアンとも不自然な感情なしに接触することができ、黒人霊歌をはじめとする各種の音楽を好んで耳にすることにした。ドヴォルザークは、これらの音楽の語法や特徴を、自分の作曲のなかで生かしてみたいと考え、それを追求して、1893年1月10日からスケッチされはじめ、5月24日に書きあげた。そこには、未知の音楽に接したことによる意欲と同時に、故国への郷愁も盛りこまれているといえる。
イングリッシュ・ホルンが美しい主題を歌わせる第2楽章は、プラハのオーケストラにイングリッシュ・ホルンとオーボエの名手がいたからだという。ドヴォルザークの弟子が勝手に『家路』と題をつけて歌曲として売りだした楽譜に由来して、日本では「家路」という歌で親しまれている。
さらに、ドヴォルザークは、この楽章を作曲するにあたって、インディアンの伝説的な英雄を扱ったロングフェロ一の「ハイアワサの歌」の「森の葬式」の部分から霊感を得たと伝えられている。ドヴォルザークがロングフェロ一の「ハイアワサの歌」に興味をもつようになったのは、この曲の作曲よりも30年ほど前に、チュコ語で読んでからだったという。これにもとづくオペラの作曲を試みもしたようで、ニューヨークにきてからごくわずかのスケッチをのこしている。
さて第3楽章は「ハイアワサの歌」のなかの結婚の祭典のところで、インディアンたちが踊っているのを描いた詩からの霊感で作曲した。3部形式をとり、簡潔な動機から次第に主題の形をととのえてゆき、素朴な舞曲ふうのものへと発展する。やがて速度を落して、木管に哀愁味のある新しい旋律も歌わせる。中間部では、やはり木管を主体に新しい旋律を扱わせる。

その生命の力強さ、颯爽としたドヴォルザークが聴かれます。
カラヤンは同曲を5回、正規に録音しています。1940年3月(グラモフォン)、1957年11月(EMI)、1964年3月(グラモフォン)、1977年1月(EMI)、1985年2月(グラモフォン)です。ライブ盤も含めると7種の録音が確認されています。それはベルリン・フィルで1966年4月ライブ、チェコ・フィルで1971年8月ライブで、ベルリン・フィルと録音した2つの録音の間に挟まります。ムジークフェラインザールでの録音。唯一のウィーン・フィル盤であり、百点満点のおすすめならこれしかありませんが、2回目、3回目を聴くのはいつもワクワクします。まだ帝王色が薄い純粋なアプローチに感動させられるEMI録音のベルリン・フィルとの演奏、自信と余裕にあふれ、迫力とノリと、オーケストラの統率力において、その生命の力強さがこちらにはある。最後のウィーン・フィルとの録音は安心して聴くことができる演奏で、クラシック音楽のサウンドに浸るに申し分ありませんが、こと本盤の第4楽章のスピード感はたまりませんでした。颯爽としたドヴォルザークが聴かれます。ぜひ一度聞いていただきたい。
カラヤンが「帝王」と呼ばれた1960〜70年代には、帝王カラヤンを追いかけて多くの有望な若手指揮者が輩出されます。しかし、彼らの多くは、頂点が近づいてくると立ちすくんでしまいます。頂上が近づいてきて、今度は何処を目指して進んでいくかを自分で見いださなければならなくなったときがきても、その頂上付近をぐるぐる回るだけの連中が多かった。
そうした閉塞感から一歩前進して明かりを示すのは、ほぼ頂点に駆け上がった男が、その頂点の先にある未踏の地へ踏み出そうとしていることの「重み」です。
62年から63年にかけてベートーヴェンの交響曲全集を仕上げることでベルリン・フィルを完全に掌中に収めたカラヤンが、再び、とんでもなく不都合な要求をベルリン・フィルに突きつけて、どこまでやれるか実験してみたのが、この64年盤の「新世界より」となったのでしょう。ドヴォルザークのシンフォニーはドイツ・オーストリア系の正統派シンフォニーと比較してみても遜色ない緻密さで書かれているので、実験をやってみるにはちょうど良い素材だったのかもしれません。
こんな演奏をやっていたのでは、俺は永遠にフルトヴェングラーを超えられない、そして、いつまでたってもドイツのトスカニーニの位置にとどまってしまう。トスカニーニ張りの演奏ができて拍手喝采をもらえるならばそれで満足するのが普通でしょうが、カラヤンは決してそれでは満足できなかったのでしょう。どこをとっても均等にみっちりと音がつまった状態でアンサンブルを作り上げれば、今まで誰も聞いたことがないような美しい音をオーケストラから引き出すことができるのではないか。とにかく音を均一に慣らしきって、その美音で音楽を完璧に構築するというカラヤン美学の出発点がすでに50年代の終わりに垣間見られることには驚きを感じます。
カラヤン美学の新たなスタートとして、野心を強く奮い立たせて。そして、1964年3月4・5日、ベルリン・イエスキリスト教会で録音されました。カラヤンお気に入りの教会で、彼が振る音楽の収録は、概ね、この教会で行われていたようです。いつもミサなどが行われる礼拝堂にマイクを林立させて収録されました。ただ、周囲の固い壁からの反射が密度の濃い音場を生成することから、ここで録音された硬質なオーケストラの音には好き嫌いがあるようです。
『カラヤンが愛した交響曲・管弦楽曲』キャリアの初期から晩年まで、5回録音したドヴォルザークの交響曲第5番《新世界より》。本作は、3度目となる1964年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との長い黄金時代の初期に行われたセッション録音で、カラヤンの完璧主義がよくわかる傑作です。
そうした閉塞感から一歩前進して明かりを示すのは、ほぼ頂点に駆け上がった男が、その頂点の先にある未踏の地へ踏み出そうとしていることの「重み」です。
62年から63年にかけてベートーヴェンの交響曲全集を仕上げることでベルリン・フィルを完全に掌中に収めたカラヤンが、再び、とんでもなく不都合な要求をベルリン・フィルに突きつけて、どこまでやれるか実験してみたのが、この64年盤の「新世界より」となったのでしょう。ドヴォルザークのシンフォニーはドイツ・オーストリア系の正統派シンフォニーと比較してみても遜色ない緻密さで書かれているので、実験をやってみるにはちょうど良い素材だったのかもしれません。
こんな演奏をやっていたのでは、俺は永遠にフルトヴェングラーを超えられない、そして、いつまでたってもドイツのトスカニーニの位置にとどまってしまう。トスカニーニ張りの演奏ができて拍手喝采をもらえるならばそれで満足するのが普通でしょうが、カラヤンは決してそれでは満足できなかったのでしょう。どこをとっても均等にみっちりと音がつまった状態でアンサンブルを作り上げれば、今まで誰も聞いたことがないような美しい音をオーケストラから引き出すことができるのではないか。とにかく音を均一に慣らしきって、その美音で音楽を完璧に構築するというカラヤン美学の出発点がすでに50年代の終わりに垣間見られることには驚きを感じます。
カラヤン美学の新たなスタートとして、野心を強く奮い立たせて。そして、1964年3月4・5日、ベルリン・イエスキリスト教会で録音されました。カラヤンお気に入りの教会で、彼が振る音楽の収録は、概ね、この教会で行われていたようです。いつもミサなどが行われる礼拝堂にマイクを林立させて収録されました。ただ、周囲の固い壁からの反射が密度の濃い音場を生成することから、ここで録音された硬質なオーケストラの音には好き嫌いがあるようです。
『カラヤンが愛した交響曲・管弦楽曲』キャリアの初期から晩年まで、5回録音したドヴォルザークの交響曲第5番《新世界より》。本作は、3度目となる1964年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との長い黄金時代の初期に行われたセッション録音で、カラヤンの完璧主義がよくわかる傑作です。
初版盤で鑑賞する価値あり
DE DGG SLPM138 922 ヘルベルト・フォン・カラヤン ドヴォルザーク・交響曲9(5)番「新世界より」
DE DGG SLPM138 922 ヘルベルト・フォン・カラヤン ドヴォルザーク・交響曲9(5)番「新世界より」
DE DGG SLPM138 922 ヘルベルト・フォン・カラヤン ドヴォルザーク・交響曲9(5)番「新世界より」- CD
『カラヤンが愛した交響曲・管弦楽曲』キャリアの初期から晩年まで、5回録音したドヴォルザークの交響曲第9番≪新世界より≫。本作は、3度目となる1964年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と行った録音
音響的効果の追求が尋常ではないカラヤンのマーラーを聴く 第30盤 マーラー 大地の歌
「暗黒から光明へ」カラヤンの美質と非常に相性が良かった自信作を聴く 第29盤 リヒャルト・シュトラウス 四つの最後の歌
オーケストラ演奏の新機軸を打ち立てたカラヤンの名演奏を聴く 第28盤 シューベルト 未完成交響曲
カラヤンと華麗なるソリストたちの名演奏を聴く 第27盤 ブラームス ピアノ協奏曲第2番
コロナ禍の心の隙間を宥めるカラヤンの演奏の名曲を聴く 第26盤 バッハ 管弦楽組曲
多様性に溢れたバロック音楽、クラシック音楽の最高傑作をカラヤンの演奏で聴く 第25盤 ヘンデル 合奏協奏曲
「暗黒から光明へ」カラヤンの美質と非常に相性が良かった自信作を聴く 第29盤 リヒャルト・シュトラウス 四つの最後の歌
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カラヤンと華麗なるソリストたちの名演奏を聴く 第27盤 ブラームス ピアノ協奏曲第2番
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多様性に溢れたバロック音楽、クラシック音楽の最高傑作をカラヤンの演奏で聴く 第25盤 ヘンデル 合奏協奏曲