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2020年09月29日

「暗黒から光明へ」カラヤンの美質と非常に相性が良かった自信作を聴く 第29盤 リヒャルト・シュトラウス 四つの最後の歌


カラヤンの美質と非常に相性が良かったのがリヒャルト・シュトラウス

カラヤン晩年の「アルペン・シンフォニー」はある意味で、彼、独特の素晴らしいさがある。「わたしが好きなカラヤンの10枚」という企画ならば、一番に紹介しますが、この度の30枚を選ぶ企画は、日常を過ごす中で身近にある名曲で選んだらというもの、楽劇「薔薇の騎士」は「カラヤンで聴くオペラ10戦」で取り上げたいもの。映画「2001年宇宙の旅」で人気のある、交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」も対象から外しています。

DGG 2530 368 カラヤン R.シュトラウス・死と変容他

昇天する道を仰ぎ見るシーン

私たちは苦しみと喜びとの中を 手に手を携えて歩んできた
今さすらいをやめて 静かな土地に憩う
まわりには谷が迫り もう空は黄昏ている
ただ二羽のひばりが霞の中へと なお夢見ながらのぼってゆく
こちらへおいで ひばりたちには歌わせておこう 間もなく眠りの時が来る
この孤独の中で 私たちがはぐれてしまうことがないように
おお はるかな 静かな平和よ! こんなにも深く夕映えに包まれて
私たちはさすらいに疲れた これが死というものだろうか?

長い旅をしてきた二人が、夕映えのなか、ある静かな小高い場所で眼下の田園を見渡している。音楽は、夕焼けの中に広がる非常に雄大な風景を表すかのように始まる。その二人がいる丘から二羽のひばりが空に昇っていく。
アドルフ・ヒトラーが政権の座についた当初こそ、事態を深刻に捉えていなかったシュトラウスは帝国音楽局総裁となることを受諾し、はからずもナチスに協力したかたちになってしまうが、このとき進行していたオペラ『無口な女』のテクストを提供したユダヤ系作家、シュテファン・ツヴァイクとのやりとりをめぐってナチスの不興をかい、1年半あまりで総裁職を「辞任」することになる。
シュトラウスの息子フランツ・シュトラウス(1897〜1980)の妻がユダヤ人であり、その結果シュトラウスの孫もユダヤ人の血統ということになるために、ユダヤ人社会の中での孫の立場が円滑なものであってほしいと、シュトラウスはオペラ『無口な女』の初演のポスターから、ユダヤ人台本作家シュテファン・ツヴァイクの名前を外すことを拒否するという危険を犯し、自身の公的な地位を使って、ユダヤ人の友人や同僚達を救おうとしたとする見解もある。さらにはシュトラウスもナチスに利用された被害者だったとする意見もある。
この出来事によってシュトラウスは自分がどのような政治的混乱の中に巻き込まれているかを思い知らされるが、1935年にこの「協力」が終わった後も、シュトラウスはしばしばナチズムとの不愉快な緊張関係を経験することになる。(なお、1940年(昭和15年、皇紀2600年)にはナチスの求めに応じて、日独伊防共協定を結んだ日本のために「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」を書いている。)ユダヤ系の作家や芸術家たちが体験しなければならなかった苦難に比べれば、もちろんはるかにましな生活であったにせよ(ちなみに、ツヴァイクは1942年に亡命先のブラジルで妻とともに自殺の道を選んだ)、戦争終結までの12年の歳月はシュトラウスにとっていわば冬の時代であったに違いない。晩年のシュトラウスは庭の花を観てよく「私がいなくなっても、花は咲き続けるよ」と呟いたという。シュトラウスの最後の作品は歌曲「あおい」であった。

私がいなくなっても、花は咲き続けるよ

1945年5月、ドイツが敗戦をむかえたとき、リヒャルト・シュトラウスはすでに80歳の老人であった。シュトラウスは第二次世界大戦終結後、ナチスに協力したかどで連合国の非ナチ化裁判にかけられたが、最終的に無罪となった。リヒャルト・シュトラウスは「4つの最後の歌」の終曲「夕映えの中で」の詩(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ作)を、1946年5月に書き写している。そののち「春」、「眠りにつくときに」、「9月」(これら3曲はヘルマン・ヘッセの詩)の順番で完成された。「4つの最後の歌」という曲名、および現在、通例となっている第1曲「春」、第2曲「9月」、第3曲「眠りにつくときに」、第4曲「夕映えのなかで」という曲順は、リヒャルト・シュトラウスの死後、楽譜出版商の友人エルンスト・ロートによって決められたものである。シュトラウスは生涯を通じて数多くの歌曲を書いたが、これは恐らくシュトラウスの歌曲の中でもっとも有名なものの1つであろう。
「私たちは苦しみも喜びも通り抜け、手に手を取り合って歩んできた」とこの曲で描き出される二人の姿には、リヒャルト・シュトラウスにとって、優れたソプラノ歌手であった妻のパウリーネとともに歩んできた50年以上にわたる人生の旅路も重ね合わされているのかもしれない。1945年5月、ドイツが敗戦をむかえたとき、リヒャルト・シュトラウスはすでに80歳の老人であった。そして終戦後の物質的・精神的廃墟のドイツに立った、その気持ち、熊本地震と令和2年7月豪雨の体験 ― では不足なのは承知だが ― で実感した、瓦礫を片付けていてアスファルトの割れ目から緑鮮やかに葉を伸ばしている植物の眩しさ。大空を飛び交う鳥たちの囀り。
先立つ3曲で歌われる生命の輝きに溢れる「春」や「夏」へのまなざし、あるいは自由に飛翔する芸術家の創造性に対する憧れのまなざし。そういった「広々とした、静かな平和」を感じながらも、人生のさすらいに疲れた二人は「死」を目前に予感している。その中で憩い、浄化されることを思い描いているかのように音楽は静寂に向かう。そこで間近に迫った自分自身の死が予感されるにせよ、それは十分に人生を生き抜いてきた人間だけが迎えることのできる穏やかで満ち足りたものであったろう。




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