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2020年09月16日
作曲家のお墨付き〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第16盤 シベリウス トゥオネラの白鳥
「4つの伝説曲」から
生死の境をさまよった後に作曲された交響曲第4番は、シベリウス作品の中ではもっとも晦渋な佇まいをもっているのに対して、第5番の方はそれとは対照的な祝典的雰囲気に溢れた音楽になっています。ブラームスが20年かけて第1番を作曲した途端、カレリア地方は「カレワラ」が生み出された地だと言われていて、シベリウスも新婚旅行でこの地を訪れています。シベリウスは家庭内言語がスウェーデン語であった事を恥じ、己のフィンランド人としてのアイデンティティを民族叙事詩「カレワラ」に求めました。
「カレワラ」に題をとった若い頃の作品で展開される民族的な物語が最終的には西洋音楽の合理性の中で、枠にはまった構築でしかなかったことをシベリウス自身が一番強く感じ取っていたことでしょう。となると40歳代になって生み出された作品49の交響的幻想曲「ポヒョラの娘」から、シベリウスのアイデンティティが
「カレワラ」に題をとった若い頃の作品で展開される民族的な物語が最終的には西洋音楽の合理性の中で、枠にはまった構築でしかなかったことをシベリウス自身が一番強く感じ取っていたことでしょう。となると40歳代になって生み出された作品49の交響的幻想曲「ポヒョラの娘」から、シベリウスのアイデンティティが

カラヤン的に再構築されたシベリウス
曲にはシベリウスの闘病や死の意識などが少なからず投影されているらしいことは、よく見聞きすることですが、カラヤンも1975年から76年にかけて体調不良で休養していた時期がありました。脊髄の手術も受けています。スポーツカーやジェット機を操り、ヨットやスキーに興じるカラヤンからは活動的かつ健康的なイメージを抱きがちですが、実は若いころから健康面では絶えず不安を持っていただろう。晩年カラヤンの健康状態はかんばしくなく、指揮台に立つ回数は極端に減っていた。1986年秋にはウィルス性の病気を患い、サントリー・ホールのこけら落とし公演を含むツアーをキャンセルした。特に70年代の半ばからは脊髄の悪化や脳梗塞などを経て、「死を意識するようになった」と語っていたそうです。脳と身体を凍結保存して、病気を
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