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Posted by おてもやん at

2020年09月22日

モーツァルトの絶筆を、一篇のオペラを聴くかの如きカラヤンの名演で聴く 第22盤 モーツァルト レクイエム


一篇のオペラを聴くかの如きドラマティックな「モツレク」である。

フランス革命が勃発し、フランス国内の情勢が不穏なものとなっていくとウィーンに居を構えていた辺境伯らが領地に戻ってしまうと、ほかの貴族らも行動を控えてしまい、ウィーン近隣での演奏会の依頼が減ってしまったモーツァルトの生活は苦しくなっていった。。旧知のシカネーダー一座から注文を受けたジングシュピール『魔笛』K. 620の作曲をほぼ終えたモーツァルトは、プラハでのボヘミア王としての皇帝レオポルト2世の戴冠式で上演するオペラ・セリア『皇帝ティートの慈悲』K. 621の注文を7月末に受け、これを優先して作曲する。ジュースマイヤーにレチタティーヴォの部分を手伝わせてようやく完成の目処が立ち、8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男性が彼を訪ねた。男性は匿名の依頼主からの「レクイエム」の作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった。
9月中旬、プラハから戻ったモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、9月30日の初演に間に合わせる。その後、レクイエムの作曲に取りかかるが、体調を崩しがちとなり、11月20日頃には床を離れられなくなってしまう。12月になると病状はさらに悪化して、モーツァルトは再び立ち直ることなく12月5日の未明に他界する(享年35)。
「レクイエム」とは、「死者のためのミサ曲」。モーツァルトの死後、未亡人コンスタンツェと再婚したゲオルク・ニコラウス・ニッセンの著したモーツァルト伝などにより、彼は死の世界からの使者の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布した。

DE DGG 138 767 カラヤン モーツァルト・レクイエム
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Posted by analogsound at 23:54
Comments(0)名曲とカラヤン