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2020年10月12日
若きベートーヴェンは自分の作風を確立することに燃えていた ― 師への挑戦状としてのはじめてのソナタを聴き比べる。

1792年11月2日早朝、ボンを駅馬車で発った。ライン河がモーゼル河へと分岐するコブレンツではフランス革命軍とドイツ軍が砲火を交えていたが、戦闘の休止する夜陰の中をくぐり抜けてウィーンには11月10日ころ到着した。5年半ぶりのウィーンであったが、今回はハイドンが認めた才能ある青年楽師として、また、皇帝レオポルト二世の実弟マックス・フランツが治める選帝侯領ボンの宮廷楽師としての派遣留学生である。
ウィーン進出後の本格的なピアノ・ソナタの最初のセットは、ハイドンの弟子になったベートーヴェンが初めて発表したピアノ・ソナタです。
師ハイドンに献呈された「3つのソナタ」作品2であるが、これらは全て4楽章構成で書かれている。ピアノ・ソナタと言えば3楽章構成が常識であったハイドンやモーツァルトの伝統様式から脱却、あるいは離脱を宣言したような強い意志表明と言えよう。
しかも第1番は当時の慣例を破って、すべての楽章がへ調(ファからはじまる長短調)で統一されています。いきなり師匠ハイドンとは違うスタイルの作品を作曲、しかもそれを献呈するとは。モーツァルトのときのように献呈を受けたハイドンも偉大ながら、若きベートーヴェンは自分の作風を確立することに燃えていたようです。