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Posted by おてもやん at

2020年10月20日

難聴や、絶望は、音楽のためになら打ち勝ってやる ― 〝遺書〟の直前に書かれたベートーヴェンの無邪気なソナタを聴き比べる


「ハイリゲンシュタットの遺書」は〝これから力強く生きていく〟宣言書

今日から3日間で紹介する3つのピアノ・ソナタはOp.31としてセットで出版されています。これらを作曲している時期から、ベートーヴェンはついに難聴に悩まされるようになり、1802年10月6日に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いています。この「遺書」には、難聴への絶望や、芸術のためにこれらに打ち勝ちたいという強い願いが綴られています。

Op.31-1のソナタは、楽章の配列にはこれといった新鮮味は無いのですが 、第1楽章では面白いことに気付きます。
この曲の演奏を聞いた人は「なんだ最初から最後まで左右の手が揃はなかった」と言ったという面白い逸話が伝えられています。これなどはベートーヴェンの創意というよりも、茶目っ気たっぷりの悪戯だといえます。
また、第2楽章の「Adagio grazioso」は、まるでオペラのなかで聞かれる下手な歌手が歌うアリアをパロディーとしてもじっているように風刺的です。
「遺書」とやや同時期に、このような無邪気な作品を書いていることが非常に興味深い。

Op.31の3曲中、「第16番」だけは遺書を書く前にできているんです。そして遺書を書いたあとに、「第17番《テンペスト》」と「第18番」を、ほぼ同時期に書き上げています。しかも、あの「遺書」は最終的に、〝これから力強く生きていこう〟という宣言になっているので、決して絶望だけではないのです。
これらの3つ曲の生まれた由来は、ベートーヴェン自身が出版社にあてた手紙によって明らかになっています。それによれば、ある婦人がベートーヴェンに「何か普通の作風ではなくて、革命的な意図を持った新しいソナタを書くことを依頼した」ことに対して、「私にそんな事を要求をする奴らは、悪魔にでも食われてしまえ」と言ったとか。
しかしベートーヴェンの心の中にはその依頼の言葉がどこかにひっかかっていたらしく、「これからは、私は新らしい道を行くのだ」と人に語っていたと言われています。
その新しい道が作品のなかで具体的に何を指すのかははっきりしないけれど、順風満帆に作曲家としての人生を歩んでいたのに、急に難聴という障害が訪れて苦悩する、その想いを書いてはいるように思われるのです。
ベートーヴェンは若いときに哲学の門をたたき、席をおいていましたが、ベートーヴェンは前のめりの理想を並べ立てるのではなく、政治や社会論ではない、日常の中に哲学を見出していたから、彼の音楽が今も私達の心を捉えるのではないでしょうか。とってもバズったブログと言った感じの3曲といったところでしょうか。
難聴に悩み、ピアニストとしての将来に絶望はしたものの、芸術のためにこれらに打ち勝ちたいという強い思いに奮い立つ。短期間のうちに変化していくベートーヴェンの心境をダイレクトに感じられる「ピアノ・ソナタ第16番 卜長調」です。ぜひ続く2曲とセットで聴きしょう。  


Posted by analogsound at 23:54
Comments(0)ベートーヴェンとピアノ