通販レコード・新着盤
2020年09月20日
ムターが瑞々しく奏でるロマン派のヴァイオリン協奏曲をカラヤンの名演で聴く 第20盤 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番
ムター17歳のカラヤンとの録音〜女帝が受け継いだもの
「イエロー・レーベル」つまり、ドイツ・グラモフォンからレコードが出るということ。ムターは大舞台に怖気づくことなく、カラヤンの下で伸び伸びと大きく羽ばたいた。出自に秘密があるとかどうか、後押ししていたものがあった。
当時17歳(1980年時)のアンネ=ゾフィー・ムターが初めて挑戦した、メンデルスゾーン&ブルッフというロマン派ヴァイオリン協奏曲の名作2曲。どちらもたった2回のセッションで録音されました。
後年の濃厚な歌い回しやロマンティシズムに彩られた表現ではなく、清々しさや瑞々しさが前面に出たまことに爽やかな演奏だ。カラヤン&ベルリン・フィルの厚みのある響きがムターのソロを盛り立て、スケールの大きな演奏を繰り広げています。
当時17歳(1980年時)のアンネ=ゾフィー・ムターが初めて挑戦した、メンデルスゾーン&ブルッフというロマン派ヴァイオリン協奏曲の名作2曲。どちらもたった2回のセッションで録音されました。
後年の濃厚な歌い回しやロマンティシズムに彩られた表現ではなく、清々しさや瑞々しさが前面に出たまことに爽やかな演奏だ。カラヤン&ベルリン・フィルの厚みのある響きがムターのソロを盛り立て、スケールの大きな演奏を繰り広げています。

2020年09月19日
S/N比の優れたステレオ録音の魅力を表顕した〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第19盤 レスピーギ ローマの松
ステレオによるシステムで聴かされてこそ納得できる名曲
オーケストラ演奏の極限を追及したヘルベルト・フォン・カラヤンならではの演奏がここに凝縮。パリの作曲家ラヴェルの影響を大きく受けたレスピーギの本領を確実に聴き取る事が出来る一枚。しなやかさと迫力を併せ持ったレスピーギの名作がこれほどまでに表現された演奏はカラヤン以前ではありえないもの。弱音部の録り方の徹底した静かさでは、この「ローマの松」がもっとも素晴らしいものの一つだと断言できます。
カラヤンはモノラルの時代からステレオの時代に入って、オーケストラの響かせ方が変わります。個々の楽器のガッチリとした音像よりは楽器群が作り出す音の広がりに進化していきます。カラヤンという人は、そう言うメディアの進歩には誰よりも敏感な人でした。この「ローマの松」もオーディオマニアだからこそ、享受できる「福音」でしょう。こういう録音はマスを確かに再現できる ― つまりはS/N比の優れた、ステレオによるシステムで聴かされなければ、納得せざるを得なかったでしょう。
「ローマ3部作」についてはトスカニーニの絶対的録音が君臨しており、さらにムーティとオーマンディがそれぞれフィラデルフィア管を振ったブリリアントで訴求力のある名演 ― 熊本地震直後に鶴屋百貨店クラシックサロンでの鑑賞会で体感していただきました ― がありますが、カラヤンの演奏はそれらとは一線を画した性格の演奏となっています。ピアニッシモでもそれぞれのパートは響きが薄くなることもなく、己の持ち分をしっかりと果たしています。
特にローマの松(第4楽章「アッピア街道の松」)では、ブラスセクションのパワーと輝きに押されて隠れてしまう弦楽セクションのなめらかで流れるような動きがはっきり刻印されており、すべての楽器が力ずくではなく、しなやかに鳴りきって、その頂点で目も眩むような大爆発を演じて見せた、その美しさと流れ方が心地よい。流麗で重厚な弦の響きと、下から湧き上がってくるような音楽運びで、「ローマの噴水」「ローマの松」とも派手な表現ではなく実に精緻の極みであり、こけおどしではない純粋な音楽としてすっかり虜になりました。
カラヤンはモノラルの時代からステレオの時代に入って、オーケストラの響かせ方が変わります。個々の楽器のガッチリとした音像よりは楽器群が作り出す音の広がりに進化していきます。カラヤンという人は、そう言うメディアの進歩には誰よりも敏感な人でした。この「ローマの松」もオーディオマニアだからこそ、享受できる「福音」でしょう。こういう録音はマスを確かに再現できる ― つまりはS/N比の優れた、ステレオによるシステムで聴かされなければ、納得せざるを得なかったでしょう。
「ローマ3部作」についてはトスカニーニの絶対的録音が君臨しており、さらにムーティとオーマンディがそれぞれフィラデルフィア管を振ったブリリアントで訴求力のある名演 ― 熊本地震直後に鶴屋百貨店クラシックサロンでの鑑賞会で体感していただきました ― がありますが、カラヤンの演奏はそれらとは一線を画した性格の演奏となっています。ピアニッシモでもそれぞれのパートは響きが薄くなることもなく、己の持ち分をしっかりと果たしています。
特にローマの松(第4楽章「アッピア街道の松」)では、ブラスセクションのパワーと輝きに押されて隠れてしまう弦楽セクションのなめらかで流れるような動きがはっきり刻印されており、すべての楽器が力ずくではなく、しなやかに鳴りきって、その頂点で目も眩むような大爆発を演じて見せた、その美しさと流れ方が心地よい。流麗で重厚な弦の響きと、下から湧き上がってくるような音楽運びで、「ローマの噴水」「ローマの松」とも派手な表現ではなく実に精緻の極みであり、こけおどしではない純粋な音楽としてすっかり虜になりました。

2020年09月18日
誰の耳にも紛れのないカラヤンの色〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第18盤 ムソルグスキー 展覧会の絵
音色で精緻に練り上げられた「展覧会の絵」
ラヴェルの豊かな色彩美とロシア的情感を上手く表現し、音の響きも実に美しい。最近、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏が見直されているように思えるが、凄まじい男性的な魅力を全面に出し切ったこの1枚もそう思う1枚。
冒頭プロムナードのレガート気味のトランペット、ベルリン・フィルの合奏力も抜群で、緊張感溢れるピアニシモから巨大なフォルティシモまで、驚異的なダイナミックレンジの広さを誇るカラヤンならではの演奏です。
139 001~44番までは、カラヤンの為だけに与えられた番号で、1964~68年の間に録音した音源を連番で発売したものだ。
冒頭プロムナードのレガート気味のトランペット、ベルリン・フィルの合奏力も抜群で、緊張感溢れるピアニシモから巨大なフォルティシモまで、驚異的なダイナミックレンジの広さを誇るカラヤンならではの演奏です。
139 001~44番までは、カラヤンの為だけに与えられた番号で、1964~68年の間に録音した音源を連番で発売したものだ。

2020年09月17日
素晴らしい「地上の美」がここに存在する〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第17盤 ブルックナー 交響曲第7番
カラヤンが生み出すレガートはすばらしい。それが音楽においては最も難しいものだ。
フルトヴェングラーがカラヤンのことを珍しく褒めたことがあった。自分にできないことは、諸手を挙げるものです。どんなに関係が悪くても、優れた音楽家として見るべきものは見抜いていたというわけです。
1975年1月から1981年1月に録音されたカラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のブルックナー・ツィクルスは、ブルックナー録音の歴史的指標となっています。カラヤンにとって、故国の大作曲家ブルックナーは、特別な存在であったのかも知れない。全9曲に一貫するカラヤンらしい明晰な解釈、流麗な音の奔流、その抜群の安定感からみて、ヨッフムとともに全集決定盤の最右翼である。音楽の底流にあるものへのカラヤンの深い感性が際立ち、これらの録音はカラヤン最高の演奏でもあり、おそらくかつてなされたことのないほど最も深くブルックナーを解釈した演奏と言えるでしょう。
それは、1957年にはじめてブルックナーの8番を録音したときから、1970年代後半に全集の録音に取り組んだときまで一切ぶれることはありませんでした。しかしながら、その事がカラヤンのブルックナー対する低評価の原因ともなりました。
ブルックナー演奏においては「崇高」であることが求められるものです。
聴いているものすべてまるごと、フルトヴェングラーは「天国的な美」へ誘ってしまいますが、カラヤンのブルックナーは、この上もなく素晴らしい「地上の美」がそこに存在している。頻出する休止符によって音楽がぶつ切りになってしまいがちななのがブルックナーの音楽なのですが、カラヤンの手にかかれば見事なまでのエレガントさでシームレスに繋がれていきます。第2楽章の「Scherzo」でも、ややテンポを上げ気味にして雰囲気を変えるのも、聞き手を飽きさせない地上の美」が音楽全体に満ちあふれている。夜空の星は憧れるだけでしかありませんが、足元のガーベラは手にとって美しさに浸れるのです。
1975年1月から1981年1月に録音されたカラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のブルックナー・ツィクルスは、ブルックナー録音の歴史的指標となっています。カラヤンにとって、故国の大作曲家ブルックナーは、特別な存在であったのかも知れない。全9曲に一貫するカラヤンらしい明晰な解釈、流麗な音の奔流、その抜群の安定感からみて、ヨッフムとともに全集決定盤の最右翼である。音楽の底流にあるものへのカラヤンの深い感性が際立ち、これらの録音はカラヤン最高の演奏でもあり、おそらくかつてなされたことのないほど最も深くブルックナーを解釈した演奏と言えるでしょう。
それは、1957年にはじめてブルックナーの8番を録音したときから、1970年代後半に全集の録音に取り組んだときまで一切ぶれることはありませんでした。しかしながら、その事がカラヤンのブルックナー対する低評価の原因ともなりました。
ブルックナー演奏においては「崇高」であることが求められるものです。
聴いているものすべてまるごと、フルトヴェングラーは「天国的な美」へ誘ってしまいますが、カラヤンのブルックナーは、この上もなく素晴らしい「地上の美」がそこに存在している。頻出する休止符によって音楽がぶつ切りになってしまいがちななのがブルックナーの音楽なのですが、カラヤンの手にかかれば見事なまでのエレガントさでシームレスに繋がれていきます。第2楽章の「Scherzo」でも、ややテンポを上げ気味にして雰囲気を変えるのも、聞き手を飽きさせない地上の美」が音楽全体に満ちあふれている。夜空の星は憧れるだけでしかありませんが、足元のガーベラは手にとって美しさに浸れるのです。

2020年09月16日
作曲家のお墨付き〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第16盤 シベリウス トゥオネラの白鳥
「4つの伝説曲」から
生死の境をさまよった後に作曲された交響曲第4番は、シベリウス作品の中ではもっとも晦渋な佇まいをもっているのに対して、第5番の方はそれとは対照的な祝典的雰囲気に溢れた音楽になっています。ブラームスが20年かけて第1番を作曲した途端、カレリア地方は「カレワラ」が生み出された地だと言われていて、シベリウスも新婚旅行でこの地を訪れています。シベリウスは家庭内言語がスウェーデン語であった事を恥じ、己のフィンランド人としてのアイデンティティを民族叙事詩「カレワラ」に求めました。
「カレワラ」に題をとった若い頃の作品で展開される民族的な物語が最終的には西洋音楽の合理性の中で、枠にはまった構築でしかなかったことをシベリウス自身が一番強く感じ取っていたことでしょう。となると40歳代になって生み出された作品49の交響的幻想曲「ポヒョラの娘」から、シベリウスのアイデンティティが
「カレワラ」に題をとった若い頃の作品で展開される民族的な物語が最終的には西洋音楽の合理性の中で、枠にはまった構築でしかなかったことをシベリウス自身が一番強く感じ取っていたことでしょう。となると40歳代になって生み出された作品49の交響的幻想曲「ポヒョラの娘」から、シベリウスのアイデンティティが

カラヤン的に再構築されたシベリウス
曲にはシベリウスの闘病や死の意識などが少なからず投影されているらしいことは、よく見聞きすることですが、カラヤンも1975年から76年にかけて体調不良で休養していた時期がありました。脊髄の手術も受けています。スポーツカーやジェット機を操り、ヨットやスキーに興じるカラヤンからは活動的かつ健康的なイメージを抱きがちですが、実は若いころから健康面では絶えず不安を持っていただろう。晩年カラヤンの健康状態はかんばしくなく、指揮台に立つ回数は極端に減っていた。1986年秋にはウィルス性の病気を患い、サントリー・ホールのこけら落とし公演を含むツアーをキャンセルした。特に70年代の半ばからは脊髄の悪化や脳梗塞などを経て、「死を意識するようになった」と語っていたそうです。脳と身体を凍結保存して、病気を
続きを読む2020年09月15日
カラヤン美学へのターニングポイント〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第15盤 ブラームスの田園交響曲
ブラームスの「田園交響曲」
明るいのびやかな雰囲気が、ベートーヴェンの6番を思わせる。ブラームスが最初の交響曲を作曲するのに20年以上も時間を費やしたのは有名な話ですが、それに続く第2番の交響曲はその1年後、実質的には3ヶ月あまりで完成したと言われています。ブラームスにとってベートーヴェンの影がいかに大きかったかを、これまた物語るエピソードです。
この10年後にはマーラーが登場して第1番の交響曲を発表するという、同時代の他の作品と聞き比べるとかなり古めかしい装いをまとっています。第1番でベートーヴェンを越えようとしたのではなく、ベートーヴェンに続きたかったんだろうか、とこの2番を聴くたびに思索します。
ブラームスの古典派回帰の思いは、母親との死別から顕著になります。が「セレナード第2番」など、より様式はバロック回帰でも、フランス6人組が感じられてなりません。とは言え、最終楽章の圧倒的なフィナーレは20年間我慢していた青春が舞い戻ってきたかのごとく若々しい。それが少年期を終えた青年の、若さみなぎったカラダが田園を駆け巡っているようで、その眩しさはブラームスの4つの交響曲の、ほかにはない。
この10年後にはマーラーが登場して第1番の交響曲を発表するという、同時代の他の作品と聞き比べるとかなり古めかしい装いをまとっています。第1番でベートーヴェンを越えようとしたのではなく、ベートーヴェンに続きたかったんだろうか、とこの2番を聴くたびに思索します。
ブラームスの古典派回帰の思いは、母親との死別から顕著になります。が「セレナード第2番」など、より様式はバロック回帰でも、フランス6人組が感じられてなりません。とは言え、最終楽章の圧倒的なフィナーレは20年間我慢していた青春が舞い戻ってきたかのごとく若々しい。それが少年期を終えた青年の、若さみなぎったカラダが田園を駆け巡っているようで、その眩しさはブラームスの4つの交響曲の、ほかにはない。

カラヤン美学へのターニングポイント〜指揮芸術に、まだ違うアプローチがある。
カラヤン&ベルリン・フィルの十八番ともいうべきブラームスの交響曲全集。こんなに重厚かつ流麗な演奏は、彼らにしかできない。1959年9月、カラヤンがドイツ・グラモフォンにステレオ録音を開始した最初期のこの録音は、ベルリン・フィルハーモニーを見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げています。
1954年にフルトヴェングラーが急死すると、その後を受けて1955年にはベルリン・フィルの終身指揮者に就任します。その時両者の共演はすでに長い年月を持っていましたが、昔ながらの古き良き時代の田舎オーケストラの響きを大切にすることだった。フルトヴェングラーに変わってベルリン・フィルを手中に収めたと言っても、オーケストラの中にはフルトヴェングラーをはじめとしたかつての「巨匠」のことをよく知っている古参メンバーがたくさんいました。そんな猛者が跋扈しているオーケストラがあるのだ。わたしがその時のカラヤンだったら、駆け出しの頃を思い出してしまう。
ベートーヴェンはクリュイタンスと初のステレオ録音全集をベルリン・フィルは成し遂げ、ドヴォルザークの交響曲全集をクーヴェリックと録音。どうやらこのオーケストラは自分の手の中に入ったかなと確信ができたのが、61年から62年にかけて行われたベートーヴェンの交響曲全集の録音だったのでしょう。ここで彼はトスカニーニもかくやと言うほどの推進力に満ちた音楽を実現して見せました。
この時代のスタンダードな価値観に照らし合わせてみれば100点満点の演奏を持って、ベルリン・フィルも彼の軍門に下った。ベートーヴェンの録音が終わってから彼が取り組んだのはブラームスです。交響曲全曲とドイツ・レクイエム、そしてヴァイオリン協奏曲の録音が63年の9月から64年の4月にかけて一気に行われています。そして、その合間を縫うようにチャイコフスキーの悲愴(64年2月)とドヴォルザークの新世界より(64年3月)が録音されています。
「カラヤンは作品を下敷きにして自分を表現したことがない」 ― カラヤン指揮者コンクール優勝の高関健氏は、昨年末、カラヤン没後30周年を記念してNHK・Eテレが放送した番組で回想していたが、セルも同タイプだったと思えるが、カラヤンはオーストリアに居を構えていた。彼が死去したのは、そのアニフの自宅の応接間だった。そこがカラヤンが生涯貫いた古典作品の中でも、その時の彼が精神を込めることに夢中になった「彼の音楽」の姿で、没後30年が過ぎてなお魅力に『カラヤンだけ』を感じる。
続きを読む1954年にフルトヴェングラーが急死すると、その後を受けて1955年にはベルリン・フィルの終身指揮者に就任します。その時両者の共演はすでに長い年月を持っていましたが、昔ながらの古き良き時代の田舎オーケストラの響きを大切にすることだった。フルトヴェングラーに変わってベルリン・フィルを手中に収めたと言っても、オーケストラの中にはフルトヴェングラーをはじめとしたかつての「巨匠」のことをよく知っている古参メンバーがたくさんいました。そんな猛者が跋扈しているオーケストラがあるのだ。わたしがその時のカラヤンだったら、駆け出しの頃を思い出してしまう。
ベートーヴェンはクリュイタンスと初のステレオ録音全集をベルリン・フィルは成し遂げ、ドヴォルザークの交響曲全集をクーヴェリックと録音。どうやらこのオーケストラは自分の手の中に入ったかなと確信ができたのが、61年から62年にかけて行われたベートーヴェンの交響曲全集の録音だったのでしょう。ここで彼はトスカニーニもかくやと言うほどの推進力に満ちた音楽を実現して見せました。
この時代のスタンダードな価値観に照らし合わせてみれば100点満点の演奏を持って、ベルリン・フィルも彼の軍門に下った。ベートーヴェンの録音が終わってから彼が取り組んだのはブラームスです。交響曲全曲とドイツ・レクイエム、そしてヴァイオリン協奏曲の録音が63年の9月から64年の4月にかけて一気に行われています。そして、その合間を縫うようにチャイコフスキーの悲愴(64年2月)とドヴォルザークの新世界より(64年3月)が録音されています。
「カラヤンは作品を下敷きにして自分を表現したことがない」 ― カラヤン指揮者コンクール優勝の高関健氏は、昨年末、カラヤン没後30周年を記念してNHK・Eテレが放送した番組で回想していたが、セルも同タイプだったと思えるが、カラヤンはオーストリアに居を構えていた。彼が死去したのは、そのアニフの自宅の応接間だった。そこがカラヤンが生涯貫いた古典作品の中でも、その時の彼が精神を込めることに夢中になった「彼の音楽」の姿で、没後30年が過ぎてなお魅力に『カラヤンだけ』を感じる。
2020年09月14日
カラヤンはじめてのLPレコード〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第14盤 ドヴォルザーク スラブ舞曲
のちの大成功の礎となった出世作
ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになった《ハンガリー舞曲集》。またこの作品に触発されてドヴォルザークがやはり連弾用として作曲し、後に管弦楽用に編曲した《スラヴ舞曲集》。自らがスラヴ民族だったドヴォルザークが、彼が生まれ育ったチェコの自然とスラヴ民族としての感性を通して身につけていった民族独特のリズムを自身の歌として表現した作品で、のちの大成功の礎となった出世作として知られている。スラヴ舞曲全16曲中、最後の16番ではソウセツカーにマズルカの要素を加味、この地味さと言うか、平坦さ渋さが、ほんわかとした春の陽光の中をぶらりぶらりと歩いているような、そして、どこか郷愁を誘うような音楽。43小節からの冒頭主題がチェロに再現されるあたりの高弦との絡みの懐かしさ、それは、ほんのりと去来する昔の熱い思いの残像のようでもある。そして、いつの間にやら日は西に傾き、終結に向かう。

精悍なるカラヤンの表情がなんともかっこいい。
1959年9月、カラヤンがドイツ・グラモフォンにステレオ録音を開始した最初期のこの録音は、ベルリン・フィルハーモニーを見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げています。
CD世代が懐かしいことも令和になって、配信世代を満喫している若い人たちにはわからないことばかり。CD世代もレコードの記憶はおぼろになりつつあるご時世です。ちびまる子ちゃんに出てくる『百恵ちゃん』『秀樹』はドーナツレコード。写真集の初版特典が欲しかったお姉ちゃんのエピソードはキュンときますが、小学生に通う彼女たちはレコードまでは持ってたのでしょうか。大学生になってレコードは持っているけど、レコードプレーヤーを持っている友達の家で聴くのが楽しみだったという時代があります。わたしなどは学校からの帰り道が音楽の先生と同じだったので、仲良くなって音楽教室によく足を運ぶようになり、レコード鑑賞の時間には先生の代わりにレコードを演奏するまでになりました。
7(EP)インチと12(30㌢㍍)インチのレコードの間に10インチ(25㌢㍍)盤と呼ばれるレコードがあります。クラシックファンは「トーインチ」と呼び、ジャズファンは「テンインチ」と呼ぶようですが、何故故このレコードがかつて存在したのでしょう。78回転SP盤の名残で10インチレコードは、かつて使われていたS盤と同じサイズです。
収録分数は12インチより少なく、片面15分程。中途半端なサイズと言えますが、1950年代から1960年代前半まで発売されていたようです。クラシックにしろジャズにしろ、30センチLPの中には25センチLPで出ていたモノを編集仕直して発売されたモノがあり、そうすると25センチLPの方がオリジナル初出盤という事になります。10インチがオリジナルで12インチサイズのLPは後発の編集盤というケースも少なくなく、また其の儘10インチ盤だけで発売を終えた盤も多くレア盤多数存在するのでコレクターは血眼になります。
カラヤンが演奏会では取り上げなかった、レコードだけの演奏。本盤は1962年2月リリース。1959年録音で、1960年発売とされていることがあるのは、10インチで「ブラームスのハンガリー舞曲集」と、「ドヴォルザークのスラブ舞曲集』と夫々発売されたことに基づいています。CD化に当たって、1971年9月録音曲も追加されました。
楽曲の成立背景から見て、カラヤンの想定通りの組み合わせだったのでしょう。
続きを読むCD世代が懐かしいことも令和になって、配信世代を満喫している若い人たちにはわからないことばかり。CD世代もレコードの記憶はおぼろになりつつあるご時世です。ちびまる子ちゃんに出てくる『百恵ちゃん』『秀樹』はドーナツレコード。写真集の初版特典が欲しかったお姉ちゃんのエピソードはキュンときますが、小学生に通う彼女たちはレコードまでは持ってたのでしょうか。大学生になってレコードは持っているけど、レコードプレーヤーを持っている友達の家で聴くのが楽しみだったという時代があります。わたしなどは学校からの帰り道が音楽の先生と同じだったので、仲良くなって音楽教室によく足を運ぶようになり、レコード鑑賞の時間には先生の代わりにレコードを演奏するまでになりました。
7(EP)インチと12(30㌢㍍)インチのレコードの間に10インチ(25㌢㍍)盤と呼ばれるレコードがあります。クラシックファンは「トーインチ」と呼び、ジャズファンは「テンインチ」と呼ぶようですが、何故故このレコードがかつて存在したのでしょう。78回転SP盤の名残で10インチレコードは、かつて使われていたS盤と同じサイズです。
収録分数は12インチより少なく、片面15分程。中途半端なサイズと言えますが、1950年代から1960年代前半まで発売されていたようです。クラシックにしろジャズにしろ、30センチLPの中には25センチLPで出ていたモノを編集仕直して発売されたモノがあり、そうすると25センチLPの方がオリジナル初出盤という事になります。10インチがオリジナルで12インチサイズのLPは後発の編集盤というケースも少なくなく、また其の儘10インチ盤だけで発売を終えた盤も多くレア盤多数存在するのでコレクターは血眼になります。
カラヤンが演奏会では取り上げなかった、レコードだけの演奏。本盤は1962年2月リリース。1959年録音で、1960年発売とされていることがあるのは、10インチで「ブラームスのハンガリー舞曲集」と、「ドヴォルザークのスラブ舞曲集』と夫々発売されたことに基づいています。CD化に当たって、1971年9月録音曲も追加されました。
楽曲の成立背景から見て、カラヤンの想定通りの組み合わせだったのでしょう。
2020年09月13日
カラヤンが愛した交響曲・管弦楽曲〜珠玉の名曲をカラヤンの名演で聴く 第13盤 グリーグ ペール・ギュント
親友に受け継がれたメロディー
この作品はアルフォンス・ドーテの戯曲「アルルの女」の劇附随音楽として作曲されました。ベストセラー「風車小屋だより」でその名をはせたフランスの文豪ドーデ。当時33歳だったビゼーは劇場の支配人からこの戯曲の上演に向けて劇付随音楽を書くように依頼されます。本を読んだビゼーは緻密に描写されたドーデの世界に大きく感銘を受け、短期間のうちに次々と音楽を作り上げていきました。また、ビゼーは物語の舞台であるプロバンス地方を過去に訪れたことがあり、その経験も生かし、地域色豊かな音楽に仕立て上げました。
戯曲の方は大成功を収めアルフォンス・ドーテの名声を不動のものにしましたが、ビゼーの音楽の方はあまり評判がよくなかったという話が伝わっています。理由ははっきり分からないのですが、どうも「アルルの女」を上演した劇場のオーケストラが小編成で技術的にも問題があったのではないかと推測されています。
しかし、作曲をしたビゼーの方はこの作品に絶対の自信を持っていたようで、劇伴全27曲の中からお気に入りの4曲を選んで演奏会用の組曲に仕立て直しました。これがアルルの女の「第1組曲」です。この組曲の方はビゼーの死後に発表されると大好評を博しました。そして、「第2組曲』はビゼーの死後、親友のギローが新たに4曲を選んで組曲にしました。こちらは、ビゼーが「アルルの女」のために作曲した劇伴だけでなく広くビゼーの音楽の美しさを広めるものでした。フルートの活躍が印象的な有名な第3曲のメヌエットは「美しいパースの女」からの転用です。
戯曲の方は大成功を収めアルフォンス・ドーテの名声を不動のものにしましたが、ビゼーの音楽の方はあまり評判がよくなかったという話が伝わっています。理由ははっきり分からないのですが、どうも「アルルの女」を上演した劇場のオーケストラが小編成で技術的にも問題があったのではないかと推測されています。
しかし、作曲をしたビゼーの方はこの作品に絶対の自信を持っていたようで、劇伴全27曲の中からお気に入りの4曲を選んで演奏会用の組曲に仕立て直しました。これがアルルの女の「第1組曲」です。この組曲の方はビゼーの死後に発表されると大好評を博しました。そして、「第2組曲』はビゼーの死後、親友のギローが新たに4曲を選んで組曲にしました。こちらは、ビゼーが「アルルの女」のために作曲した劇伴だけでなく広くビゼーの音楽の美しさを広めるものでした。フルートの活躍が印象的な有名な第3曲のメヌエットは「美しいパースの女」からの転用です。

カラヤンの音楽は何を聞いても映画音楽
ビゼーは30歳代を過ぎた頃から持病の扁桃腺の炎症が悪化し辛い日々を送りますが、そんな彼のもとにいつもギローの姿がありました。時にギローはビゼーにピアノを弾いて聴かせては、ビゼーを励ましたが、現在では歌劇場のレパートリーに欠かせない歌劇「カルメン」の再演中。舞台上でカードで運命を占う場面で不吉なカードが出たときに、ビゼーは心臓発作を起こし、36歳という若さで帰らぬ人となります。
親友の突然の死に悲しみにくれたギローがまとめた、新しい組曲。それは、生前ビゼーが残した組曲とは全く異なる「第2の組曲」でした。カラヤンの演奏は文句のつけどころなく、気の遠くなるような陶酔から、血湧き肉躍る、フォルティッシモまで、この短い組曲に、カラヤン=ベルリン・フィルの本領が存分に発揮されています。1970年12月28,29日にベルリンのダーレムにあるイエス・キリスト教会での録音。残響が優れたオーケストラの響きを豊かに聴かせます。
ビゼーは、サクソフォーンをオーケストラで一番最初に上手く使った作曲家でした。カラヤン時代のベルリン・フィルで、サクソフォーンのエキストラ奏者は、フランスでクラシック・サックス演奏の基礎を築いたといわれるダニエル・デファイエです。
続きを読む親友の突然の死に悲しみにくれたギローがまとめた、新しい組曲。それは、生前ビゼーが残した組曲とは全く異なる「第2の組曲」でした。カラヤンの演奏は文句のつけどころなく、気の遠くなるような陶酔から、血湧き肉躍る、フォルティッシモまで、この短い組曲に、カラヤン=ベルリン・フィルの本領が存分に発揮されています。1970年12月28,29日にベルリンのダーレムにあるイエス・キリスト教会での録音。残響が優れたオーケストラの響きを豊かに聴かせます。
ビゼーは、サクソフォーンをオーケストラで一番最初に上手く使った作曲家でした。カラヤン時代のベルリン・フィルで、サクソフォーンのエキストラ奏者は、フランスでクラシック・サックス演奏の基礎を築いたといわれるダニエル・デファイエです。
2020年09月12日
カラヤンのベートーヴェンの原点を聴く 第12盤 ベートーヴェン 英雄交響曲
ユゴーの「東方詩集」におさめられた長編叙事詩「マゼッパ」からの霊感
この作品の副題が示す、ポーランド国王のヨハン・カジミール宮廷に使えていた武人マゼッパと疾走する荒馬の姿を描写しています。交響詩はロマン派時代に流行った音楽形式の一つで、管弦楽によって演奏される標題音楽のことを指します。「田園交響曲」でベートーヴェンが苗を植えた標題音楽は、フランス音楽界でベルリオーズが育てて、フランツ・リストが定着させます。ロマン派時代になって変質して、文学的、絵画的な内容と結びつけられることが多く、楽曲の形式は全く自由です。
マゼッパのエピソードが伝説となって語り継がれていく間に多くの詩人にインスピレーションを与えたようで、ユゴーの前にはバイロンもこの人物取り上げています。
このマゼッパは、貴族夫人との不義密通の罪がかけられ、裸で馬に括り付けられて荒野に追放されるという刑をうけます。
しかし半死の状態で農民に救われ、やがてウクライナのコサック兵の一員となり、さらには数々の武勲をあげてついにはウクライナの英雄となるのです。
マゼッパのエピソードが伝説となって語り継がれていく間に多くの詩人にインスピレーションを与えたようで、ユゴーの前にはバイロンもこの人物取り上げています。
このマゼッパは、貴族夫人との不義密通の罪がかけられ、裸で馬に括り付けられて荒野に追放されるという刑をうけます。
雷鳴が轟く暗黒の雲が渦巻く中を音高く、風巻き起こし駈けてゆく荒馬、その荒馬に括りつけられたマゼッパを襲う様々な怪物達、マゼッパの血は果てしもなく流れいでて肉もちぎれて落つる。
しかし半死の状態で農民に救われ、やがてウクライナのコサック兵の一員となり、さらには数々の武勲をあげてついにはウクライナの英雄となるのです。

その生命の力強さ、疾走する音楽。リストの交響作品の解釈で、カラヤンの右に出る者はいないだろう。
カラヤンはレコード産業に、新しいビジネス様式も作り出しました。劇場上演には準備と経費がかかります。レコードからの売り上げが、その助けになっていきますが、カラヤンは音楽祭や演奏会のプログラムに合わせて新譜がショーウインドウに並ぶようにします。新しいツアーのリハーサルを録音して、演奏会に間に合うように商品化。演奏会が始まるときにはカラヤンの意思はオーケストラに徹底されているのですから、目を閉じていても、腕を差し出すだけで珠玉の演奏になる。これはレコード会社にも、オーケストラにとっても合理的なシステムでした。
今ではミュージシャンの当たり前になっている、仕組みですが、レコード録音はしたが、演奏会では取り上げなかったが楽曲があります。カラヤンが指揮者として演奏会で取り上げたリストの作品は「ピアノ協奏曲第1番」「ピアノ協奏曲第2番」「交響詩《前奏曲」》」「ハンガリー狂詩曲第2番」「ハンガリー狂詩曲第5番 」の5曲です。 このうち交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲第2番、第5番は録音も残しています。
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2020年09月11日
カラヤンが目を閉じて腕を差し出すだけで珠玉の演奏になるわけ 第11盤 リスト 交響詩第6番 「マゼッパ」
ユゴーの「東方詩集」におさめられた長編叙事詩「マゼッパ」からの霊感
この作品の副題が示す、ポーランド国王のヨハン・カジミール宮廷に使えていた武人マゼッパと疾走する荒馬の姿を描写しています。交響詩はロマン派時代に流行った音楽形式の一つで、管弦楽によって演奏される標題音楽のことを指します。「田園交響曲」でベートーヴェンが苗を植えた標題音楽は、フランス音楽界でベルリオーズが育てて、フランツ・リストが定着させます。ロマン派時代になって変質して、文学的、絵画的な内容と結びつけられることが多く、楽曲の形式は全く自由です。
マゼッパのエピソードが伝説となって語り継がれていく間に多くの詩人にインスピレーションを与えたようで、ユゴーの前にはバイロンもこの人物取り上げています。
このマゼッパは、貴族夫人との不義密通の罪がかけられ、裸で馬に括り付けられて荒野に追放されるという刑をうけます。
しかし半死の状態で農民に救われ、やがてウクライナのコサック兵の一員となり、さらには数々の武勲をあげてついにはウクライナの英雄となるのです。
マゼッパのエピソードが伝説となって語り継がれていく間に多くの詩人にインスピレーションを与えたようで、ユゴーの前にはバイロンもこの人物取り上げています。
このマゼッパは、貴族夫人との不義密通の罪がかけられ、裸で馬に括り付けられて荒野に追放されるという刑をうけます。
雷鳴が轟く暗黒の雲が渦巻く中を音高く、風巻き起こし駈けてゆく荒馬、その荒馬に括りつけられたマゼッパを襲う様々な怪物達、マゼッパの血は果てしもなく流れいでて肉もちぎれて落つる。
しかし半死の状態で農民に救われ、やがてウクライナのコサック兵の一員となり、さらには数々の武勲をあげてついにはウクライナの英雄となるのです。

その生命の力強さ、疾走する音楽。リストの交響作品の解釈で、カラヤンの右に出る者はいないだろう。
カラヤンはレコード産業に、新しいビジネス様式も作り出しました。劇場上演には準備と経費がかかります。レコードからの売り上げが、その助けになっていきますが、カラヤンは音楽祭や演奏会のプログラムに合わせて新譜がショーウインドウに並ぶようにします。新しいツアーのリハーサルを録音して、演奏会に間に合うように商品化。演奏会が始まるときにはカラヤンの意思はオーケストラに徹底されているのですから、目を閉じていても、腕を差し出すだけで珠玉の演奏になる。これはレコード会社にも、オーケストラにとっても合理的なシステムでした。
今ではミュージシャンの当たり前になっている、仕組みですが、レコード録音はしたが、演奏会では取り上げなかったが楽曲があります。カラヤンが指揮者として演奏会で取り上げたリストの作品は「ピアノ協奏曲第1番」「ピアノ協奏曲第2番」「交響詩《前奏曲」》」「ハンガリー狂詩曲第2番」「ハンガリー狂詩曲第5番 」の5曲です。 このうち交響詩「前奏曲」、ハンガリー狂詩曲第2番、第5番は録音も残しています。
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